ミラバイの生涯 (1498〜1546)
「本文より三分の一に要約」
ミラバイが生まれた頃の北インドは、十三世紀ころにインドに侵入してきたイスラム教徒があちこちで支配権を確立し、一部の在来の王国がイスラム支配にかろうじて立ち向かっているという状態でした。人々はその圧政と戦争の苦しみから、古来のヒンズー教によりどころを求め、それに応じるように多くの宗教的指導者が現れました。
ミラバイ(正確には、ミーラー・バーイー)の生年およびその生涯については諸説あり、明らかなことは不明だそうです。
ミラバイの生涯に関しての正確な資料はほとんどなく、そのかわりに多くの伝説が彼女の生涯を彩っています。
いくつかの説をまとめると以下のようです。
ミラバイは、西暦一四九八年ごろに、現在のラジャスターン州にあったメラタ王家の王女として、父ラトナ・シンと母クスマ・クンバの間に生まれました。
母親はミラバイが幼少の頃に死んだらしく、母の死後、ミラバイは信心深い祖父ラオ・デュダに育てられました。祖父は勇敢な戦士かつ熱心なヴィシュヌ派信者で、ミラバイもその影響下に育つこととなります。そのもとでサンスクリット語や音楽、踊りなど、王女としての教育を受けたといわれ、その後のミラバイの詩作における音楽性に寄与したと言われています。
ミラバイは幼少の頃からクリシュナ神を礼拝して育ちますが、それに関してはいくつかの幼少時の逸話があります。
ある日のこと、通りすがりの僧がミラバイの住む王宮にやってきたことがありました。僧はクリシュナの神像を持っておられたのですが、それがあまりにも可愛らしかったので、ミラバイはそれが欲しくなり、僧に譲ってくれるようにと頼みました。
しかし、僧はそれを拒否して王宮を後にしてしまいました。
ミラバイは悲しさのあまり意気消沈して寝込んでしまいます。
さて、僧は帰る途中で居眠りをして夢を見ました。夢の中にクリシュナ神が出てこられ、「今すぐ戻ってその神像をミラバイにあげなさい」と言うのを聞きました。クリシュナが夢の中に出てきたことに驚いて、僧は急いで王宮に引き返し、ミラバイにその神像を譲ってあげたそうです。
ある時、結婚式の行列がミラバイの王宮の前を通ったことがありました。
それを見てミラバイは無邪気に母親に尋ねました。
「誰にも夫がいるのなら、私の夫は誰なの?」
母親は少し考えてから答えました。「あなたの夫は……ほら、いつも手に持っているギリダラがあなたの夫よ。」
それ以来、ミラバイはクリシュナを自分の恋人と考えるようになったとのことです。
このことはミラバイの多くの詩の中に描かれています。
ミラバイは当時の社会習慣として、十八才の頃に結婚しました。相手は、メワーラ国の偉大なクンバ・ラーナ王の長子ラジャ・ボージャで、結婚生活が約五年ほど続きましたが、子供には恵まれなかったようです。
夫の戦死後、未亡人となり、義理の弟ビクラ・マジタ(詩の中ではラーナと称されている)にひどい迫害を受けます。
ある説では、義理の母がミラバイを嫌い、夫を唆して王宮の一室に幽閉したともいわれます。
また夫の死後、火の中に入って自害するよう強制されたという話もあります。
その頃、ミラバイの最愛の父がこの世を去ります。
唯一頼りにしていた父がいなくなり、彼女は悲しみにくれ、子供の頃から培っていたクリシュナ神への信仰を強めるようになっていきました。そして、女性はずっと家にいるべきであるという当時の社会風習を無視して、聖者たちと多くの時を過ごすようになり、僧たちの集会にも参加してその話を熱心に聞くようになっていきました。また、詩を創ったり、歌を歌ったりして一人で時をすごすようになります。
この頃、ライダスという靴職人を生業とする師に出会い、彼に教えを請うようになったという話もあります。
またミラバイは、足にアンクルベルをつけて、寺院のクリシュナ像の前で手をたたいて踊るようになります。
ミラバイの義理の父がムガール帝国の侵略者との戦いで死んだ後、ミラバイの婚家での立場は更に苦しいものとなってしまいました。
義理の弟であるビクラ・マジタがメワーラ国の王となり、ミラバイに対する迫害を始めました。とりわけ、彼女が僧と行動をともにして寺院のクリシュナ神の前で踊ることに彼は怒り狂いました。
もともとラジャスターン地方は武士道の精神が強く、戦士は勇猛なことで有名で、夫が死んだ時にはジャウハルといって、女性や子供が火の中で集団自害するという風習があったくらいです。ですから、そういう行為は王家の女性としての恥だと考えたわけです。
そこで彼はミラバイを殺すために次のような手段をとりました。
彼女に毒の入った杯を送り、これを飲むようにと命令したのです。
ミラバイは王から送ってこられた毒杯をアムリタと考え、ためらわずに一気に飲み干しましたが、何の影響も及ぼしませんでした。伝説では、それを身代わりに飲んだのはクリシュナで、そのときクリシュナの像は一瞬青く変色したといわれます。
また王は別の機会に、コブラを中に潜ませた花籠を送りましたが、ミラバイがそれを開けると、コブラはヴィシュヌの像に変わっていました。
このような辛い日々を過ごすうち、ミラバイはクリシュナに対して恋人のような気持ちをいだいていき、クリシュナに身も心も捧げるようになっていきました。
今やクリシュナは彼女の全てとなって、夜も昼も屋根に昇り、恋人を待つようにしてクリシュナを待つようになりました。ある時などは夢の中で、クリシュナが婚礼の準備をして自分のところに神々の行列とともにやってくる夢を見ました。それ以来、ミラバイは自分をクリシュナの花嫁と考えて夜も昼も泣いてすごすようになってしまいます。
ミラバイの義理の姉のウダバイもミラバイを迫害した一人で、なんとかして聖者たちと会ったり寺院で踊るのをやめさせようとしていました。
その頃、ミラバイは自分の部屋で夜中に起き、子供の頃にもらったギリダラの像に毎晩熱く語りかけていました。ウダバイはこのことを知ってはいましたが、ミラバイを陥れようと一計を企みます。つまり、ミラバイは皆が寝静まった後で自分の部屋で愛人と会い、情事を重ねていると王に告げ口をしたのです。
王は怒り狂い、剣を持ってミラバイの部屋に駆け込みました。
「お前、毎晩どこの男と会っているのだ、そいつもろとも、お前を殺してやる。」
ミラバイは剣にたじろぎもせずに、ギリダラの像を指さして言いました。
「ここに私の愛人、ギリダラがおられます。その他の男性は知りません。私の愛人はクリシュナだけです。」
王は怒りを向ける矛先を失い、それ以上何もできずに部屋を出てしまいました。
ウダバイは表で待っていましたが、王が手ぶらで出てきたことに驚いて中に入ると、ミラバイは恍惚状態となってクリシュナ神像の前にいました。ウダバイはその時、ミラバイの顔から放たれる輝きに驚いてひれ伏し、泣いて自分の非をわびたといわれます。
ミラバイはこれ以上、王家の世俗的雰囲気と感覚的な生活に耐えることはできないと考えて、メワーラ国を離れて故郷メラタ国に帰る決心をしました。
故国においては、ミラバイは平和な日々を送ることができ、心から自由にクリシュナに対する信仰を深めることができるようになり、叔父のラオ・ヴィラムデヴァと従兄弟のジャヤマラも彼女に親切で、ミラバイは自由に僧達とも交流することができました。
また多くの信者や聖者がやってきて、王宮でミラバイと宗教的親交を深めました。
ところが時がたつうちに、メラタ国での事情が変わってきました。
敵国ジョドプールとの間に戦争が起こり、1538年、ジョドプールの王ラオ・マラデバがメラタ国を支配するようになったのです。
この結果ミラバイは再び、自由を奪われるようになってしまいました。
ミラバイはメラタ国を離れ、クリシュナ神が幼少時を過ごした聖地ヴリンダヴァンに移りすむことにしました。
ヴリンダヴァンでは町全体でクリシュナ神が崇められ、ミラバイはあちこちの寺院で踊ったり、また歌を歌って、クリシュナを讃美し続けました。
ある時、著名な聖者ジーヴァ・ゴースワミがヴリンダヴァンにやってきました。ミラバイは聖者に面会したいと思って会いに行ったのですが、彼はそのころ女性を見ないという誓いを立てていたため、それをにべもなく断りました。
それを聞いてミラバイは次のような手紙を送りました。
「私は今までヴリンダヴァンにはたった一人の男性しかおらず(クリシュナのこと)、それ以外は皆ゴーピー(クリシュナを信じ愛した牛飼女たちのこと)だと思っていました。今日初めて主とは別に自分も男性だと考えている人がいると知りました。」
つまりミラバイは、人は皆、神様の前では女性のようなもので、神を愛して神に仕えるものでしょう、と言いたかったとのことです。
ジーヴァ・ゴースワミは、ミラバイの智慧に驚き、急いで彼女に会いに来たということです。
以降、ミラバイはこの聖者と宗教的親交を深めるようになりました。
1542年ころにミラバイはヴリンダヴァンをはなれてドワルカに旅立ちました。
ドワルカとは、現在のグジャラート州のカティアワール半島西端にある、クリシュナ神が都を築いた聖地です。
ドワルカでは、ミラバイのクリシュナへの想いはますます強くなり、人々への奉仕活動、また皆とともに歌を歌って日々を送られました。
そのころ、ミラバイの従兄弟ジャヤマラはラオ・マラデバからメラタ国を取り戻すことに成功しました。そしてミラバイに国に帰って来てくれるようにと、伝令をドワルカに送ってよこしました。
けれども、ミラバイはこの世的な王宮生活への関心をすでになくして、クリシュナ神への愛に浸りきっていました。伝令は国に帰ってくれるように懇願しましたが、ミラバイの意志は強く、これを断ったので、伝令は仕方なくメラタ国へと帰っていきました。
伝説では、ミラバイはその後も死ぬまでドワルカにとどまったということです。
最後のときの様子は次のようであったと言われています。
ある日、ミラバイはクリシュナに別れを告げるべく寺院に行き、クリシュナ神の像の前で二つの讃美歌を歌いました。
その時、クリシュナの像はミラバイを自分の中に引き寄せて完全に吸収し、後にはミラバイの肉体は全く消え失せていたということです。
またある伝説では、最期のときにクリシュナの魂が彼女の目の中に入り、そして彼女は瞼を永遠に閉じたともいわれます。
別の説では、伝令を送ったのはメワーラ国の王であるという話もあります。
その時の事情は次のようです。
ミラバイが国を出て行った後、メワーラ国は他国に侵略され、多くの男性が戦死し、残された女性や子供たちも自害せざるを得なくなりました。怒った民衆は、これはミラバイを迫害した神罰だといい始めました。王は民衆の歓心を買うべく、ミラバイを国に呼び戻そうとドワルカに伝令を送りました。渋るミラバイに、伝令達は、一緒に帰らぬのなら死の断食をするとまで言って脅しました。
困ったミラバイは、ラナチョール (クリシュナのこと)の寺院で一晩過ごさせてくれるように頼みます。
次の朝、皆が寺院に入ってみると、そこにはミラバイはおらず、彼女の一房の髪と着物だけが残されていたということです。
いずれにしても、ミラバイはクリシュナと一体となって幸福な死を迎えたのは確かなようです。
それはちょうど、クリシュナがバガヴァットギーターのなかでいわれた次の言葉の通りでした。
『 肉体を離れる臨終において
私をのみ憶念する者は
私の郷にきたる
信じて疑うべからず 』
(バガヴァットギーター 8章5節)
ミラバイを祭った寺院は、現在のラジャスターン州チトールガルの砦の中にあり、今も参拝者が絶えないとのことです。
美莉亜