裏話

クリシュナ


詩の翻訳は難しい。自分で詩を書くのなら、それは自分の言葉と感性、直感で書ける。始めから自分の言葉として浮かんでくるからだ。
しかし、他人の詩だ。他人の心になりきらねばいけない。
言葉を選ぶのも大変だ。
だいたい、どういう雰囲気の詩なのか。
堅苦しいのか、くだけているのか、女性的か、等。

 

文章の出来不出来は、校正の数によるとつくづく思われた。
校正を重ねる毎に余分な言葉、足らない言葉が見えてくるから不思議だ。
まさしく、彫刻のようだ。
今のようにパソコンがない時代はどうしたのだろう。
私の汚い字だと、読む方も大変だ。

 

しかし、翻訳の詩はどうして味気ないものが多いのだろう。
現代詩は、リズムよりも意味に重きを置き、否、抽象的な感覚の中に泳いでいる。
むしろリズムなどにこだわるものは、幼稚な印象を与えるのか。
外国においても、同じようなものらしい。
それゆえ、もはや韻文は散文と同じ次元になっているような気がする。
だから訳す場合も、そのようになってくるのだろう。
読んで、頭の中で再構成して味わうことになる。
訳詩を読むと、何かイライラしてきてくることが多い。

 

日本語って不思議です。
「か」 と 「や」 と 「よ」 と、何と一言で印象が変わるのかと思い知らされる。
けれども、ヒンディー語も結構、同じような感じです。
微妙な言葉の変化が、微妙なニュアンスの変化を顕す。
ミラバイの詩は、これが結構多い。
けれども、何となく分かるんです。
訳していると。

 

日本語でも、500年も前の日本語なんて、今とかなり違うものね。
ヒンディー語も同じです。
けれども、法則性はあるから、それが分かればそれほど難しくありません。

 
職場のKK氏からインド旅行時の写真の提供を受けた。
インドが好きな人同士は何となく気があう。
私が旅行したときも暑かった!
日本だと夏休みくらいにしか行けないので、大変です。

 

著作権法で言うところの「著作物」は、「思想または感情を創作的に表現したもの」で、かつ「文芸,学術,美術,音楽の範囲に属するもの」と定義されます。(2条1項1号)
著作権は、著作者の没後50年を経過すると消滅します。
これはベルヌ条約で国際的に決まっているそうです。
一部の外国でガヤガヤ言っても、日本国内では条約に沿って50年と決まっている。そして、この期間はその著作物を出版するその国の法律によって決められ、それに沿えば問題ないとのこと。
ミラバイは約450年前に亡くなっておられるので、この著作権に関しては問題なし。
次に、編集権とかいうものも著作権に含めて言われるそうです。
編集権とは、他人の作品を、その編集者独自の視点から並べ替えたり、詩の順番を決めたりすることだそうです。
これも、その人のやり方を真似なければ問題はありません。
また、翻訳の場合、その人独自の翻訳の仕方、解釈をしている場合、それを真似ると著作権に抵触する可能性があります。
しかしミラバイの詩はかなり広まっているので、変わった解釈をしている人の意見は我流と思われ、参考にすべきとは思えません。
いずれにしろ、日本における万葉集を英語に訳すようなもので、この著作権に関しては大丈夫と考えました。

大体、インドという国自体コピー天国です。

 

縦書きと横書き
私は横書き世代。
本を読んでも横書きだろうと違和感がない。
詩集も、昔は横書きなんかなかったが、最近のものは、パソコン世代のため、横書きのものも多く並んでいる。
英語もヒンディー語も横書き。
本も横書きで、と考えた。
でも、試しに、縦書きにしてみた。
やっぱり、日本人には縦書きがいい。

 

書いたことのある人なら知っているけれど、本のページ数は、8、又は16の倍数が良い。
印刷においては、そのページ数で印刷されるからです。
つまり、155頁も160頁も、印刷に要する値段は変わらないのです。
僅かの紙代だけ。
それに、紙というのは、一般の人が思っているよりもかなり安いのです。
今回、344頁とかなりの分量になりましたが、詩のページ数は仕方のないものの、解説などでかなりかさばりました。
これでも、絞りに絞ったつもりです。
けれども、絞るというのは、後で気がつきましたが、大変大事なことです。
絞るためには、言葉を練らなければいけません。
もう一度見直して、要らない言葉を探さなければいけません。
それに、書いている人は気が付きませんが、なんでもかんでも本の中に詰め込もうとして、結局、焦点がぼやけてしまうことが多いようです。
読んでいる人は、退屈します。
小説よりも詩が優れていると思うのは、省略の芸術であるためかと思います。
一つの言葉にいかに深みを持たせるか。
結局、日本の俳句にこそ、その究極像が見られるのかなと思ったりします。

 

結局、やはり日本語は五七調というか、五と七と九の文字数で現されるのが一番リズミカルだ。
こればかりはどうしようもない。
どうしてそうなのか、おそらく日本語という言葉が持つ根源的なものだろう。
外国の詩では、韻を踏むということが重要になる。
ミラバイの詩の場合、とくにリズム、韻というものが不可欠だ。
流れるような、海のうねりのような、そのような。
けれども、日本語には日本語の美しさがあると思う。
私は俳句はわからないけれども、俳句を読む人も、結構、一言一言、命をこめておられるらしい。
最近の俳句や短歌は、昔のその言葉の美しさを無視しているとか、嘆かれている人がおられたが、所詮、目先が変わったものが受け入れられているだけかもしれない。

 

私は、詩人ですが、詩は歌うためにあると思うのです。
言葉に出して汚いもの、歌えないもの、つまるようなものは、言葉を修正すべきと思うのです。

 

インドにおいても、遠い昔、ヴェーダの時代、その詩文は書かれたものではありませんでした。
すべて、師から弟子へ、口頭でのみ伝えられたものだったのです。
それゆえ、そこには歌いやすいリズムが絶対的に必要でした。
リズムに沿って記憶していったのです。
それらの詩文「スローカ」が読まれたサンスクリットは、暗唱するために高度に発達した言語です。
それゆえ、サンスクリット語は地上で一番美しいといわれているのです。
ヒンディー語も、サンスクリット語から出来たものです。
ミラバイが活躍した中世北インドは、そのヒンディー語が頂点にまで美しく変貌した時代といわれています。

ああ、またインドに行きたい。

本の発売は、8月26日にしました。
縁起をかついで。
どうしてかって?知っている人には分かるでしょう。
それと、なんやかやで、余裕を見ればそのくらいまでかかりそうです。

 

原点に戻る=原典に戻る
訳がどうもしっくりこない場合は、もう一度、原文を見直すと、簡単に解けるから不思議です。
詩には命があり、「もう一度見直してください」って、囁いているようです。

 

訳すのにほとんど労なくすらすらと行く場合もある。
その詩もそれなりにまとまって、満足が得られる。
訳した後で見ると、拙い詩もある。
でも、それは訳が拙いのであって、元の詩は決して拙くなく、素晴しいのです。
さあ、それからが大変。
頭をひねり回して、七転八倒、日本語を作り出す。
リストのピアノ曲に超絶なんとかというのがある。
ほんの幾文字かの間に、必要な意味を持たせねばならないから、文章も、超絶なんて思うくらいにねじりだしたりせざるを得ない。
が、この、七転八倒して訳した詩の方が、愛着がわくから不思議だ。
それに、実際、その詩の方が何となく良いように思われる。

知り合いのインド人が、インドの新聞に紹介してくれるらしい。
インドで知られても、売り上げにはつながらないから、複雑な気持ち。

校正というのは、最後には平衡状態に陥るものです。
ある時にはこちらがいいと思い、別の機会にはこちらの表現がいいと思う。
考えすぎると頭が痛くなります。
もう終わりましたけど。

今、「シュリーマド・バーガヴァタムsrimad bagavatam」の、英語からの翻訳をしています。
2000頁近くあるので、一日1頁として……。
5頁だと……。
気の長い話です。

本日、インドのGITA PRESS社から、同社発行のシュリーマド・バーガヴァタム・マハープーラン英語版の翻訳の許可を得ました。(6月8日)
ああ、疲れるけれど、やりがいがあります。
何冊に分けて発行するかまだ考えていませんが、みなさん買ってくださいね。
クリシュナのことが詳しく書かれた、インドの神話です。
ヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ派ヒンドゥー教徒)の教典とされてきました。
宇宙の誕生から、聖仙ナーラダの過去世、ヴィシュヌの化身の話、なにより、クリシュナの生涯が、他のどの聖典よりも詳しく描いてあります。
もちろん、原典はサンスクリット語ですが、サンスクリットは、私には無理。
だいたい、サンスクリットからヒンドゥー教聖典を訳した人は、どういうわけか、その途中、ないしは終わってから、命を落としていることが多いので、怖いです。
少し形が整えば、またホームページに一部載せたいと思います。

シュリーマド・バーガヴァタム・マハープーラン、日本では、バーガヴァタ・プラーナという名前の方が一般的らしいですが、なんとか200ページまで訳せました。(7月1日)
2000ページと思っていたけれど、実際は1600ページくらいで、すると8分の1翻訳できた計算になります。
本にすると二冊になるでしょう。
結構早く終わりそうです。
こういうことしていると、余計なこと考えないのでありがたいことです。

本日、本の見本が完成。ほとんど問題なく出来ていたので驚いた。
本文の中の写真が、どの程度、細かく印刷されるのかわからないので不安だったが、思っていたよりもきれいだった。少し離れると、写真印刷と同じように見える。
紙の種類を、かなり高価なものにしたので、きれいに仕上がりました。
私は風呂の中で本を読む習慣があるが、こんな馬鹿なことはもうできない。
あれすると、少しでも濡れると、紙がくしゃくしゃになります。
本の厚さは、ページ数があるので、十八ミリになりました。
カバーと帯も付いています。(七月九日)

とうとう発売になった。
近所の本屋に行って、それとなく探すが、見あたらず。
少し不安になって、顔見知りの店主に聞こうとしたが、顔がばれるのも嫌なので知らん顔する。
よく考えれば、そんなに大部数の印刷でもないので、こんな場末の本屋に並ぶわけがない。
けれどもオンライン書店を見ると、ほとんどのサイトで発売されていた。
この電子時代、別に自慢することでも、驚くことでもないか。
出版社から早速、購入者の問い合わせがあったと連絡あり。
ふーん、どれだけ売れるのだろう?
バーガヴァタ・プラーナは、500ページまで翻訳が終わる。
これで三分の一が終わったが、結構早いペースだ。(8月27日)

誰か購入された方が、ほかに本を出しているのかと出版社に問い合わせてくださったそうですが、教えていただいたメールアドレスは、エラーにより送信できませんでした。
もしこのページをご覧になられれば、お教えください。
あいにく、私自身は今回の書籍以外には、今のところ出版活動はしておりません。
本来の仕事もありますので。
発売後三日経ったが、オンライン書店では、結構売れているようだ。
一般書店はどうかわからないが。(8月29日)

アマゾンのサイトを見ていると、結構売れているらしい。
売り上げ順位が出ているが、一時6000番まで食い込んだ。
どうも、売上総数ではなく、新刊ほど、また売れるスピードが速いと上位に入っていくようだ。逐一、刻一刻と変化していくのがおもしろい。
オンライン書店も、取り寄せになっていたところも、総じて在庫扱いになっていた。
オンライン書店なんて、スピードが勝負だからネ。
取り寄せなんて言っていると、よそのサイトで買われてしまうから。

仕事の帰りに、大きな書店を二軒覗いたら、ああ、売っていた!
店頭で自分の本を見るのは感動的だ。
側に立っていた女性に、「これ私の書いた本です。」などと言おうかとしたが、理性が働いて思いとどまる。そんなことしたら、おっちょこちょい以外の何者でもありません。
まだ一週間しか経っていないので、そんなに売れるわけでもないが、なんだかこの一週間は、はらはらどきどきの、一ヶ月くらいの充実感があった。
セブンイレブンのオンライン書店でも売れてます。詩集売れすじの第三位に入りました。
楽天ブックスでも、結構売れているようだけれど、一般書店ではどうなのかな?
トーハンの在庫が一時なくなったから、それなりに注文入っているのかな?
あと、図書館関係が(きっと)買ってくれると思うのだけれども、どうなるかな。(9月2日)

インターネットで調べたら、東京中央図書館で在庫扱いになっていた。
東京で在庫になれば、他の図書館でも購入してくれるのかな?
拓殖大学の坂田貞二先生から感想をいただいた。
心から恐縮します。
小磯千尋さんからも、ありがたきご返事をいただいた。
献本するときは気を遣う。
別に書評にするつもりはないのだけれど、そんな風に警戒されないかな、と。
有名人になったら大変なんだろうな。
マザーテレサさんも、警戒してあまり簡単には人と面談されなかったらしい。一緒に写真に写ったりして、商売に悪用する人がいるらしい。
しかし、良い感想を頂くのは嬉しいものです。(9月4日)

大阪市中央図書館と滋賀県立図書館でも在庫扱いになっていた。
全国の図書館と、大学図書館で購入されますように!
バーガヴァタ・プラーナは600ページまで翻訳が終わる。(9月13日)

ああ、あちこちの図書館で購入されている!
全国各地の図書館に入りますように。
ついでに大学の図書館にも……。
インターネットで調べれるので便利だ。
インド古典舞踏の大家、小久保シュヴァさんに献本したら、大変好意的な書評をホームページに載せて下さった。
インド人に認められたら、嬉しい。
「神に対する敬虔な思いが肌を通じ伝わって来るような、現代人がとうの昔にどこかに置き忘れてしまった神に対する信頼を改めてつよく感じさせてくれる不思議な詩集です。」→ホームページ

バーガヴァタプラーナのサイトを立ち上げました。
よろしければどうぞ。→ バーガヴァタプラーナ

上巻の翻訳(1巻〜8巻)が終わりました。900ページ。(11月3日)
さあ、次に下巻にかかろう!あと700ページ……か。
第十巻で初めてクリシュナが誕生されるのです。
この調子だと、春にはすべて終了、それから校正作業の予定だけれど…。

既に十巻に入った。現在、20話。雨期と秋の描写。
ああ、まぶしい。紙が白いからかと思ったけれど、やっぱりまぶしい。
自画自賛、カナ? (12月5日)

発売から三ヶ月経ったけれども、いまのところ返本はないようだ。
三ヶ月経ったからといって、必ずしも返本はされないようだ。
アマゾンよりも、他のオンラインショップの方がよく売れている。
これは意外だった。
けれども、やはり、店頭に置かれている方がよく売れているようだ。(12月12日)

第十巻後半に突入して既に70話目。
前半に比して、後半はどちらかというと、戦争とか、クリシュナの威光を示す話が多い。
あと300ページ。二ヶ月で訳し終えるかな?(1月4日)

バーガヴァタ・プラーナの訳に関しての日記は、こちらの方からどうぞ。→ココ

つづく

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